広東省中山市。車に軽くぶつかった女性が運転手に法外な賠償請求を突きつけたが、その理由は驚くべきことに「処女膜が事故で破損したこと」であった。
華北部の某都市で、専門学校の生徒が校内で転倒して負傷した後、「校舎の床が滑りやすいから」といって学校に莫大(ばくだい)な賠償を要求した。西南地域の重慶市では、自分で転倒して負傷した老女がバスに乗り込み、乗車中に転倒したふりをして、バス会社に賠償を求めた事件も起きている。
それらの珍事件の数々を見ていると、今の中国人たちが、賠償請求訴訟を起こすのに、いかに「熱心」であるかがよく分かる。何かある度に、正当な理由があってもなくても、とにかく誰かをつかまえて「賠償をよこせ」と迫るのが一種の流行とさえなっている。愛人が正妻を訴えるこっけいさや、ホテルが宿泊客の自殺で賠償を要求されるような理不尽さもそこから出ている。
こうした現象はある意味では、中国における社会的進歩の一つである。かつて毛沢東時代には、国民が生命や権利のすべてを奪われても文句の一つも言えなかったのだが、今、国民の一人一人が個人的権利を強く主張してそれを守り通そうとしている。この風潮がいずれ、国民一般の普遍的権利を求める社会運動に発展すれば、民主化への道が開かれる可能性もある。
しかしその半面、自己権利意識の肥大化が現代中国人特有の強欲さと相まって、理不尽な「賠償請求訴訟」の氾濫(はんらん)を招き、徹底的な人間不信の社会を作り上げている。
2006年11月、南京市内のバス停留所で転倒した老女を助けた彭宇さんという若者が逆に老女から「損害賠償」を求められた事件が発生して以来、街角で誰かが倒れていてもそれを無視して通り過ぎていくというのが中国人の常識となっている。共同体としての中国社会は、すでに崩壊寸前である。
【石平のChina Watch】「賠償訴訟大国」に警戒せよ (1/2ページ) - MSN産経ニュース
中国→国民総「当たり屋」時代?