まず、私の人生で一番悲しかった旅の話からしましょう。今から50数年前、私が39歳のときのことです。
ハンセン病、当時は、らい病と言っていましたが、それを発病した私は村人の通報で突然やって来た県の職員に付き添われ、高松港沖の大島青松園に連れて行かれることになりました。母や兄弟とも別れらしい別れもできぬまま、私は新居浜から高松行きの列車に乗せられました。私が乗った車両には私と付き添いの職員の二人だけ。他の乗客の乗車を厳しく禁じていたからです。私はガランとした車内の一番隅の席に身を隠すように座らされました。
列車が走り出すと、朝夕に見慣れた山がどんどん遠ざかっていきます。たとえ二度と帰れぬ古里であっても、あの山の裾(すそ)に私の家があることを忘れてなるものかと、怒りに似た哀しみに耐えながら、いつまでも山並みを見続けていました。
次は私の人生でとても思い出深い旅の話です。私が72歳のとき、里帰りの旅が実現したのです。県のお世話で入所者が古里を訪ねたのですが、私は西条の出身なので、愛媛出身者ばかりが乗ったバスでそれぞれの古里を回りました。
バスが西条に近づくと見覚えのある山並みが姿を現し、その中の一つが私の目に飛び込んできました。あの山だ! あの山のふもとに自分の家があったんだ。そう思うと胸が張り裂けそうになりました。町は姿を変えていましたが、山は変わっていませんでした。
バスは私の古里の近くを何度か回ると、次の目的地へ。私は何か記憶に重なるものはないかと必死で探しましたが、思い出の中にある風景はもうそこにはありません。でも、生まれ育った家のすぐ近くにまで行けたという思いだけで私の気持ちは十分幸せでした。
私たちを乗せたバスは、桜三里から石鎚の山を越えて久万高原経由で松山の道後へ入りました。宿は清風寺という寺の宿泊所でしたが、日赤のボランティアに食事のお世話をいただきました。翌日は八幡浜や宇和島を回り、再び道後の宿で1泊して、翌日大島へ。これが私にとって生涯忘れることのない旅の話です。
– 語りたい旅/旅人・青野正さん 旅先・愛媛県 | 香川のニュース | 四国新聞社